「民族共生象徴空間」――。漢字ばかり8文字とは、お役所の書類から抜き出してそのままつけたような名前だ。国立アイヌ民族博物館などからなるアイヌ文化の発信拠点として2020年春、北海道・白老町に完成したナショナルセンターの正式名である。どうしてこんなぎこちない名前なのか。本書『アイヌの権利とは何か――新法・象徴空間・東京五輪先住民族』(かもがわ出版)を読むと、消化不良の響きから、先住民族の権利回復を進める国際社会の流れに乗り遅れまいと、東京五輪までに「民族共生」の形を整えることを急いだ日本政府の姿が浮かび上がってくる。

「辺境」の視座が照らす先住民族の思い

 著者の1人、テッサ・モーリス=スズキ氏は、日本社会史、日本思想史を専門とする歴史家で、オーストラリア国立大学名誉教授。2000年には『辺境から眺める――アイヌが経験する近代』(みすず書房)を著している。その中でモーリス=スズキ氏は、「植民地時代の探検家たち(略)がおこなった旅は、帝都の中心から出発し、外に向かい、『奥地』にまでいたるものだった。(中略)本書でおこないたいと思っているのはこの過程を転倒する作業である」として、帝都型の思考方法を問い直す「辺境」という視座から、日本とロシア先住民族を同化し差別した歴史に迫った。本書でも、その視点はぶれない。

 2019年春、アイヌを初めて先住民族と認めた「アイヌ新法」が成立した。これは、同化政策色が強かった「北海道旧土人保護法」(1899年)、伝統文化への助成に特化した「アイヌ文化振興法」(1997年)に次ぐ3度目のアイヌ関連法だが、モーリス=スズキ氏はこう指摘する。

 「この法律には、極めて重要な欠落している部分があります。法律は『先住民族』という言葉でアイヌを認知していますが、驚くべきことに、国際的に『先住民族』が本来有するとされる『先住権』という言葉が一度も登場していないのです」

 先住権は、日本を含む144か国が賛成して2007年に採択された「先住民族の権利に関する国連宣言」で規定された権利だ。先住民族の生活を支えていた土地や資源に対する権利を回復し、過去に支配国家が奪った文化財や遺骨の返還を促している。

 モーリス=スズキ氏は、先進国の取り組みを列挙する。カナダ先住民族に土地を返還したうえ、国有地や国立公園の一部での採取・収穫・狩猟を権利として認め、オーストラリアは全国土の約4分の1をアボリジナルの人々に返還し、国有地などでカナダ同様の権利も法律で保障している。また、ニュージーランドは植民政府が結んでいた条約に従い、マオリ族に特別な資源権を保障しているという。

アイヌの「権利」でなく「管理」のための法律

 では、「アイヌ新法」はどうか。モーリス=スズキ氏は、条文に「権利」という言葉が登場するのは4回にとどまるが、「管理」は25回にのぼると指摘し、山林での採取やサケ漁に関する項目も、伝統儀式や漁法などの継承を目的とした場合にのみ行政が「配慮」して認める内容であることに、「いったい何ごとなのでしょうか」と憤りを隠さない。

 そして、交付金制度とともに新法の中心に位置づけられたのが、冒頭に紹介した「民族共生象徴空間」の管理運営だ。モーリス=スズキ氏は歴史学者として、この施設の展示のあり方にも疑問符を重ねる。

 「19世紀から20世紀初頭にかけて国内外の国際博覧会に『展示物』として送るために募集されたアイヌたちの物語に出会うでしょうか」「戦争中に北海道の労働拠点(タコ部屋)から脱走した朝鮮人強制労働者たちを助けたアイヌの話に触れようとするのでしょうか」「民族的和解がすでに達成された(略)というメッセージを通して、『うわべだけの多文化主義』のイメージを来場者に与えようとするものなのか――」

 この本でもう一つ、強く印象に残るのは、アイヌの墓から人類学者たちが持ち去ったアイヌ人骨の返還を求める当事者たちの証言だ。学校や職場、時に初恋の場面でも差別や偏見に直面し、それでもアイヌの誇りを失わず、祖先の遺骨返還を各地の大学に求める。拒絶されれば、訴訟による和解を重ねて一歩一歩、願いを実現させている。

深く聞くことからしか「共生」は始まらない

 昭和初期、北大の教授が遺骨を持ち去るときの目撃証言では、埋葬して数年の墓だったため骨にまだ肉が付いていたという。倫理的に許されない「学問による暴力」と、いまなお謝罪されていないことに驚く。それらの遺骨のうち1200体余りが2019年暮れ、それぞれの故郷ではなく、「民族共生象徴空間」に設けられた慰霊施設に集約された。

 静内アイヌ協会の葛野次雄氏は、「コンクリートの建物の中に納めて、『日本国アイヌ遺骨の尊厳ある慰霊を行いました』というのであれば、アイヌの尊厳は顧みられていない。遺骸は土に埋めるのがアイヌの文化です」と記している。

 民族の共生は、マジョリティの側が先住民族の声を深く聞き、理解することからしか始まらず、それは時間を要する作業だ、とモーリス=スズキ氏はいう。米国で白人警官に首を圧迫されて黒人男性が死亡した事件を機に、人種差別への抗議が世界的な広がりを見せる中、足元の民族問題に目を向け、考え直すための豊富な材料を本書は提供している。

 「民族共生象徴空間」は別名「ウポポイ」。コロナ禍で予定より遅れて、7月12日開業する。

 BOOKウォッチではアイヌ関連本を多数紹介済みだ。『ラストアイヌ――反骨のアイヌ歌人森竹竹市の肖像』(発行・柏艪舎、発売・星雲社)はアイヌ三大歌人の一人、森竹竹市(1902~76)についての評伝だ。『地図でみるアイヌの歴史』(明石書店)には1771年、千島列島を南下してきたロシア択捉島アイヌが戦った話などが出てくる。樺太では13世紀末、元とアイヌが戦っていたなども。あまり知られていない話が多い。『鎖塚――自由民権と囚人労働の記録』(岩波現代文庫)には、北海道の開拓にアイヌ人を動員できなかった理由が記されている。『つくられたエミシ』(同成社)は、坂上田村麻呂の「蝦夷征伐」はフィクションとし、マタギアイヌの末裔ではない、と結論付けている。幕末の探検家、松浦武四郎の『アイヌ人物誌』(青土社)や『アイヌ文化で読み解く「ゴールデンカムイ」』 (集英社新書)も紹介済みだ。

  • 書名:  アイヌの権利とは何か——新法・象徴空間・東京五輪先住民
  • 監修・編集・著者名: 北大開示文書研究会 編、テッサ・モーリス=スズキ、市川守弘、葛野次雄、楢木貴美子、差間正樹 著
  • 出版社名: かもがわ出版
  • 出版年月日: 2020年7月 5日
  • 定価: 本体2000円+税
  • 判型・ページ数: 四六判・200ページ
  • ISBN: 9784780311006

BOOKウォッチ編集部
3度目も「正直」でなかったアイヌの尊厳回復の物語